THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (本編)


   
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12月12日月曜日(フランクフルト→シュトゥットガルト→カイロ)
フランクフルトからシュトゥットガルト乗り継ぎでカイロに飛び、午後3時前(エジプト時間)に到着。
安宿「スルタン・ホテル」泊。

12月13日火曜日(カイロ)
モガンマア(カイロのパスポート・オフィス)でエジプトの再入国ビザを申請。
在カイロの日本大使館で、シリア入国のための推薦状を申請。
オールド・カイロ(旧市街)を観光。
イスラーム地区にあるムハンマド・アリ・モスクを見学。
シタデル地区の高台からカイロの町並みを一望。
自分撮り用三脚をシタデルのロッカーに忘れる。
夕方6時前、再びムガンマアを訪ね、今朝申請した再入国ビザ(が貼られたパスポート)を受け取る。安食堂で人生初のクシャリを食す。
安宿「スルタン・ホテル」泊。

12月14日水曜日(カイロ)
朝一で国際学生証を偽造。
在カイロの日本大使館で、昨日申し込んだ推薦状を入手。
在カイロのシリア大使館で観光ビザ発行を断られる。
ムガンマアから6ヶ月の滞在許可申請用紙を持ち帰る。
シタデルから、昨日置き忘れた三脚を取り戻す。
安宿「スルタン・ホテル」泊。

12月15日木曜日(カイロ→ギザ→カイロ)
モガンマアで6ヶ月の滞在ビザを申請、2時間後に取得。
在カイロのシリア大使館で観光ビザを強引に申請。
ギザの三大ピラミッドを見学。
イラク行きを決断したオーストリア人を宿泊客全員で説得する。
安宿「スルタン・ホテル」泊。

12月16日金曜日(カイロ→バフレイヤ・オアシス)
カイロのカフェで、日本で開催されている世界クラブチーム・トーナメント、エジプト対シドニーの試合をテレビ観戦。
夕方、バフレイヤ・オアシスへバスで移動、夜に到着。
「デザート・タイガー」を名乗る砂漠ガイド「アザム」と出会う。
中級ホテル「アルペン・ブリック」泊。

12月17日土曜日(バフレイヤ・オアシス→白砂漠)
昼前、バフレイヤ・オアシスでガイド選びに四苦八苦。
韓国人家族と話し合った後、ワリカンでアザムを雇い、いざ一泊二日の砂漠ツアーへ。
午後4時頃、白砂漠に到着。
月が昇ってくるのを目の当たりにする。
砂漠の夜の寒さを痛感する。
白砂漠の「アザム作テント」泊。

12月18日日曜日(白砂漠→西方砂漠→クリスタル・マウンテン→黒砂漠→バフレイヤ・オアシス→カイロ)
所々で観光しながら、ジープで砂漠を疾走。
夕方にカイロへバスで戻り、夜に到着。
アラブ諸国のフルーツ・ジュース「コクテール」に感動。
安宿「スルタン・ホテル」泊。

12月19日月曜日(カイロ→アスワン)
朝一でエジプト考古学博物館を見学。
トゥットゥアンカムン(ツタンカーメン)黄金のマスクと出会う。
ついにシリアの観光ビザを入手。
ラムセス(国鉄)駅で切符購入に苛立ちを覚える。
イスラーム地区のアズハルを観光。
午後8時、ワゴン・リーの寝台車両でアスワンへ移動。
同室になったフランス人に最大級の怒りを覚える。
車中泊。

12月20日火曜日(アスワン→アブ・シンベル)
朝、アスワンに到着。
ヌベア・ミュージアムを見学。
マルワ・ホテルでツアーをアレンジ、アブ・シンベルからの参加を申し込む。
アブ・シンベルへローカル・バスで移動。
夕方、アブ・シンベルに到着。
アブ・シンベル神殿の「音と光のショー」を観て感動する。
神殿で働くサフィーに夕食をご馳走になる。
エジプトで初めて本当の人の温もりに触れる。
中級ホテル「ツーリスト・ビレッジ」泊。

12月21日水曜日(アブ・シンベル→アスワン)
アブ・シンベル神殿から朝日を眺める。
アブ・シンベル神殿内部を見学。
ツアーと合流し、アスワンに戻る。
アスワン・ハイダムやイシス神殿等を見学。
夜、ゲイの若者に追い回される。
安宿「マルワ・ホテル」泊。

12月22日木曜日(アスワン→ルクソール)
朝、電車でルクソールへ移動。
エジプト人のウザさを痛感する。
ホテルで自転車をレンタルし、西岸を周る。
ラムセス三世葬祭殿、ラムセス二世葬祭殿、セティー一世葬祭殿を観光。
安宿「オアシス」泊。

12月23日金曜日(ルクソール→ダハブ)
ツアーに参加し、西岸の見所を見学。
何度もエジプト人のウザさを再確認する。
マクドナルドで、アラブ諸国限定の「マック・アラビア」を食す。
午後5時、夜行バスでシナイ半島のリゾート地・ダハブに向かう。

12月24日土曜日(ダハブ)
17時間という話しだったが、20時間ほどかかりようやく到着。
生まれて初めて紅海で泳ぐ。
寒さに震える。
クリスマス・イヴを一人寂しく迎える。
25日はシナイ山(聖カトリーナ)が閉鎖されている事を聞かされ絶望する。
安宿「セブン・ヘブン」泊。

12月25日日曜日(ダハブ→シナイ山)
寂しいクリスマスを過ごす。
夜、シナイ山にむけて出発する。

12月26日月曜日(シナイ山→ダハブ)
午前2時頃から登山開始。
あまりの寒さに死を覚悟する。
エジプトで初めて雪を目撃する。
最高のご来光を眺め感動を覚える。
ダハブに戻り爆睡する。
安宿「セブン・ヘブン」泊。

12月27日火曜日(ダハブ→ヌエバア→アカバ)
午前中にバスでヌエバアへ移動、1時間後に到着。
郵便局で葉書を出した後、ヨルダン行きのフェリー乗場へむかう。
スピード・ボートのチケットを購入。
予定より3時間以上も遅れて出港。

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野宿1

↑11月のリヒテンシュタインで野宿!



11月3日夜にマンハイムを出発した僕が、リヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツに着いたのは4日の23時ちょっと前だった。
当然の事ながら比較的安い宿は満室(或いは閉まっていて)、空いていたのは一泊200ユーロもする高級ホテルだけ・・・。
野宿を決断せざるを得ない状況の中、昨夜自分が犯したミスを悔いながらも、なんとか寒さをしのげる寝床を探した。
そんな場所などないと分かっていながらも・・・。

野宿2

↑凍死直前の気分を、電話ボックスの中で味わった



「何をしてるんです?!」
電話ボックスの中で胡坐をかく東洋人を懐中電灯で照らし、深夜の見回りをしていたガードマンはそう尋ねてきた。
最初は外で耐えていたのだが、座っているだけでケツが凍るほど冷えたため、ここで寒さを凌いでいる、と僕は彼に伝えた。
驚きを隠せないでいた彼に、僕は宿を取れなかった理由を簡単に説明し、自分がただの愚か者であって特に怪しい人物ではない事を主張した。
なんとか、その場は通報されずに済んだ。

野宿3

↑観光地・リヒテンシュタイン(Riechtenstein)の看板



衰弱して行く己の体が数分毎に実感出来た。
持参のカイロでどんなに体温の低下を防いでも、明らかに全身の感覚は薄れて行く・・・。
やがて強烈な睡魔に襲われ、カイロを持つ両手の握力すら自らの意思ではコントロール出来なくなる・・・。
自分が凍死への一本道を歩んでいる事に気付く・・・。
「眠ってはいけない!」と自分に言い聞かせながら、何度も場所を変えては少しずつ休憩した。
リヒテンシュタインの看板を横目で見ながら、改めて自分の未熟さを再確認した。
結局、風だけは防げる電話ボックスに再び戻った僕は、ゆっくりと両まぶたを閉じた・・・。
「もう、駄目かもしれない・・・」、そう思いながら・・・。

「大丈夫かい??」
またしても眩しい光が僕を照らした。
「こんな所にいたら死んでしまう!!一緒に来なさい!!」
さっきのガードマンは有無を言わさず僕を電話ボックスから連れ出し、そう言った。
朦朧とする意識の中で、僕はただひたすら彼について行った。
そう、・・・生き残るために。

「ここなら外よりマシだろう?暖房つけておいたから。始発のバスが来るまで、ここで休むと良いよ。」
暖房によってしっかりと暖まった室内、横になって休めるベンチ・・・、そこは正に天国だった。
ガードマンは閉まっていたバスの待合室の鍵をわざわざ開けてくれたのだ・・・。
僕のために、暖房のスイッチまでつけて・・・。
嬉しかった・・・。
更に彼は一杯のインスタント・スープを僕に手渡し、「体、温まるから」と言って勤務に戻って行った。
・・・人生で最も美味しいスープだった思う。
大した観光も出来ずに辛い思いばかりした小旅行ではあったが、僕はこのリヒテンシュタインという国が大好きになった。
「また来よう!」、そう心に誓った。

野宿4

↑美味しかったです、ありがとうございました。



2004年11月4日・5日の思い出
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2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会の組み合わせ抽選会がつい先程終了した。王様・ペレをはじめ、ヨハン・クライフ(オランダ)、ローター・マテウス(ドイツ)などのスーパースター達に混じり、我らがゴン中山が抽選会のアシスタント役としてライプツィヒ(ドイツ)の会場に登場した。首にかけていた太く長いヘンテコなマフラーは別として、日本人として初めてワールドカップで得点を決めた現役のストライカーとして紹介された中山選手は、堂々とした態度でしっかりとアシスタント役を務め切った。中山選手は途中、オランダがグループCに決定した時、「アルゼンチンとか~」と苦笑いを浮かべながらクジ用ボールをメイン司会者に手渡すシーンがあった。彼はオランダファンなのだろうか?

抽選会が終盤に差し掛かった時、ドイツの英雄ローター・マテウスからクジを手渡された司会者は、それを開くと同時に「Ja, Masashi・・・」と中山選手の方に目をやった。開かれたクジの表面には「JAPAN」という文字が記されていた・・・。日本代表、グループFに決定!!グループF・・・、ディフェンディング・チャンピオンのブラジル、98年フランス大会で日本を破ったクロアチア、そしてオセアニアの強豪オーストラリアがいるグループである。こ、これは日本にとって厳しい戦いになりそうだ・・・。
正直僕は、グループGに入ってくれる事を祈っていた。しかしマテウスはその一歩前に日本のクジを抜いてしまった・・・。で、フランス、スイス、トーゴという比較的楽なグループGには韓国が選ばれた。マテウス・・・君ねぇ・・・。まぁ、クジというのはこんなものだろう。

勝負の世界において、「不運」というのは何の言い訳にもならない。運は努力を惜しむ人間を救わないからだ。来年日本代表には、努力に努力を重ねてきた大和の侍魂を、是非世界のサッカーファンに見せてほしい。ブラジル、クロアチア、オーストラリア、クソ食らえ!!
頑張れジーコJAPAN!!

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僕は明々後日の12日、エジプトに飛び立つ。今回の旅は一ヶ月間を予定しており、エジプトのみならず隣国のヨルダンやシリアなどの中東諸国も周る事になっている。また(治安等の)情況次第だが、イスラエルやレバノンにも足を伸ばしてみたいと思っている。出発が間近に迫った今、当然楽しみに思うし若干興奮しているのも事実だ。しかし、現在僕の脳内を支配しているのは荷造りの煩わしさである・・・。旅の準備というのは意外に難しいものだ・・・。何回やっても中々慣れない・・・。買物は本日昼の間に済ませて置いたのだが、それを詰めるのが・・・、はぁー。非常に・・・手間取っている・・・。更にある理由があって、僕は余計に荷造りに集中出来ない。なんとか明日までに終わらせたいものだが・・・。

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広島に続き、茨城(栃木)でも凶悪事件によって尊い女児の未来が失われた。僕が読んだネット上のニュースによると、犠牲になった女の子はまだ7歳だったという。言葉にならない・・・。「安全大国・日本」も、少しずつ変わってきてしまっているようだ。今の世の中、安全な場所などないのかもしれない・・・。

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