THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (本編)


   
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さぁ、実に盛り上がってきた・・・。今日は華の日曜日、現在ドイツ時間は午前11時27分、本当に盛り上がってきた・・・。もう僕は若くない。来月7日には25回目の誕生日を迎える・・・。四捨五入したら30だ・・・。でも僕は、またやってしまった。金曜の朝7時に起きて以来、現在まで一睡もしていないのだ・・・。盛り上がってきた・・・。はぁぁぁ、気持ち悪い・・・。先程、手帳に来月の予定を書き込んでいたのだが、「」を「」と書いてしまった。あぁぁぁ、頭悪い・・・。現時点での不眠記録52時間27分、なおも更新中・・・。

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世界最弱球団・読売巨人軍は、これまで使用していたダサい「ジャビットエンブレム」に代わり、球団名である「巨人」をイメージした更にダサい新エンブレムキャラクターを作成した。2月1日のキャンプインと同時に、汚らわしい「YGマーク」やドブ臭い「GIANTSロゴ」と同様、売れもしないのに球団商標として様々な形で活用していくつもりらしい。

巨人

↑・・・はぁ?・・・ナニコレ?

史上最悪の新エンブレムは、「虚弱巨人」という言葉の持つ虚しさをモチーフに、片手に空振り用バットを4本も持った「つぶやきシロー」の薄ら笑いを描いたものだ。周囲のビル群は本拠地の東京ドームを含む大便東京を表し、国際的に嗅いでも東京が腐乱しちゃったチーズであることが臭うようにデザインされている。球団が「異臭放出装置」そのものをエンブレムに組み込むのは初めてだ。

馬鹿大将・原監督は、「強そうな感じで、個人的に気に入っています。みんなにかわいがられるようなエンブレムになればいいと思います」と話している。・・・って、かわいがられねーよっ(三村風に)!!どうやら開幕を待たずして、読売巨人軍の今季の最下位が決定したようだ・・・。

proudjapanese

個人旅行を最大限に楽しむには、「資金」、「情報」、そして「運」が絶対不可欠だ。
この中でも特に重要なものが、情報である事は言うまでもない。
確かに大金さえあれば、世界中どんな国にでも行けるだろうし、夢のような豪華な一時を過ごす事も可能だろう。
しかしそれでは、旅を終えた後に飲む甘いコーヒーの味を心から堪能する事はできない。
苦いコーヒーを甘くするのは達成感であり、それは旅の中で直面する数々の障害を自らの力で乗り越える事によって生まれるからだ。
金に物を言わせるだけの個人旅行、そこには何の意味もない。
それなら初めから、旅行会社を通してツアーに参加すればいいだけの話だ。
次に運だが、これはこれで重要な要素であると思う。
道中での人々との出会い、自然現象、社会現象の移り変わりなどは運によって左右される事が多い。
だが、こればかりはどうにもならないもので、根拠のない強運だけを頼りに旅を進める訳にもいかない。
よって、多くの情報を収集し、それを最大限に生かす事こそが最も大切だと言える。
情報次第では、いくらでも支出を抑える事が出来るし、ある程度運を引き寄せる事も可能だからだ。
個人旅行で最も大切なモノは、情報である。
ヨルダンの首都アンマンにある安宿「クリフ・ホテル」、そこに泊まるまで、そこで一人の従業員と出会うまで、僕はそう思っていた・・・。

アンマン1

↑クリフ・ホテルの入口


「ドウイタシマシテ!」・・・、死海への行き方を教えてもらった僕がアラビア語でありがとうと言うと、彼は笑顔でそう答えた。
クリフ・ホテルで働くサーメルさん(31歳)、丸いメガネと落ち着いた笑顔が印象的な優しいお兄さんだ。
無駄に明るい他のアラブ人とは違い、もの静かでありながら細かい気配りを忘れない彼は、宿泊客が求める事なら何でも快く協力してくれる。
観光名所への交通手段などは、無駄な出費を抑えられるようにと、最も安く効率的な方法を教えてくれ、ツアーへの勧誘などは一切しない。
宿泊客が心から楽しんでくれるように、色々と相談にも応じてくれる。
この宿は、特に施設が充実している訳ではない。
基本的に二人一部屋のドミトリーだし、シャワー室だって意外に狭いし汚い。
料金に関しても、他の安宿より飛び抜けて安い訳ではない。
それでも多くのバック・パッカーがこの「クリフ・ホテル」を訪れるのは、ひとえにサーメルさんの人柄によるものだと言っても過言ではない。

「ドウイタシマシテ!」・・・、他の宿泊客とロビーで談笑していた僕が、ネス・カフェを差し出してくれたサーメルさんに感謝の意を伝えると、彼はいつものように笑ってそう答えた。
安宿のロビーというのは面白いもので、多種多彩なルートを経て辿り着いた様々な国の旅人達が一同に集い、国籍を問わず「旅好き」という共通点だけで何時間も笑いが絶えない。
この夜も、僕等は様々な旅の零れ話に花を咲かせていた。
そして話題が「旅において最も大切なモノ」に移り変わった頃には、仕事が一段落したサーメルさんもその輪に加わっていた。
「マリファナ」や「コンドーム」など、それぞれが好き放題言い合う中、ある韓国人女性がサーメルさんに意見を求めると、「責任」という言葉が返ってきた。
自分の国に胸を張って帰る。それが旅人の最大の責任であり、旅において最も大切なモノだと思います。
彼が実際に語った言葉はこれだけである。
・・・それは僕を含めたその場の日本人にとって、非常に痛く重い一言だった。

2004年10月31日、イラクのバグダッド市内で一人の日本の若者が遺体で発見された。
僕と同年代で、「自分探し」を渡航目的にイラク入国を決意した青年、彼のイラク行きを手配したのは他でもないサーメルさん自身だった。
「自分の無責任な行動が、未来ある青年を死に追いやってしまった。」
現地報道陣の取材に対し、彼はそう語ったという。
イラクの日本人人質殺害事件は、日本国内だけに止まらず、ここアンマンで働く優しい安宿従業員の心にも大きな傷を残した。
当時の情報ノートには、サーメルさんが「戦後は戦時中以上に危険だ!」と最後まで止めた事や、それを聞き入れずイラク行きを強行した青年に関する内容がハッキリと記されていた。
事件後、大勢の(日本の)報道関係者がサーメルさんのもとを訪れ、非道な取材を強要したという事も・・・。
サーメルさんの親切を利用してイラク行きを申し出る(日本人)旅人が、未だに後を断たないという事も・・・。
それでも彼は、今でも訪れる(日本人)旅人を温かく迎え入れてくれている。

2003年5月1日、一人の無責任な日本人ジャーナリストによって、ここヨルダンでの日本人全体の信用が崩れ去った。
アンマンのクイーン・アリア国際空港で起こった爆発事件、その原因はなんと日本人ジャーナリストがイラク戦争取材中に記念品として持ち帰った(クラスター爆弾の)子爆弾だったのだ。
五味宏基という最低邦人の無責任は、空港職員一名の尊い命を奪い、罪のない五名の人々にケガを負わせた。
二年以上が経過した今現在も、多くのヨルダン人の脳内にはこの時の無責任な日本人像が根強く残っている。

自分の意志で海を渡り異国の地を訪れる以上、個人としての責任を背負うだけでは不充分だ。
いくら個人旅行とはいえ、旅先での僕等の行動は、全て「日本人」としての行動と受け取られる。
旅の恥は掻き捨てではない。
現地の人々の心には、日本人が掻いた恥としていつまでも残る。
上記の空港爆発事件が、その代表的な例と言えるだろう。
クリフ・ホテルのロビーでサーメルさんと話した夜は、僕にとって本当に良い勉強になったと同時に、今までの自分の行動を見直す良い機会になった。
僕はこれまでにどれだけ日本人の品格を落としてきたのだろうか・・・。
「今のままでは、とても胸を張って母国に帰る事なんて出来ない。」
僕はそう反省した・・・。
今後、僕は個人としてだけでなく、一人の日本人として責任ある行動をとらなくてはならない・・・、難しい事だが・・・。

個人旅行を最大限に楽しむには、「資金」、「情報」、そして「運」が絶対不可欠だ。
しかしそれ以上に重要なものが、「責任」である事を忘れてはならない。
自分の人生は、自分だけの人生ではない。
旅先での恥ずべき行動は、今まで自分に関わった全ての人々の人生と、母国全体に大きな影響を及ぼす。
よって、胸を張って母国に帰れるよう、しっかりとした責任を持ち、現地の方々への敬意を忘れず、自らを危険にさらす事のない行動を心がける姿勢、それこそが旅において最も大切なモノであると言える。

「ドウイタシマシテ!」・・・、クリフ・ホテルを去る時、最後に感謝の気持ちを告げた僕に対し、サーメルさんは普段通りの笑顔でそう答えた。
いつも旅の全日程を終えた後、僕が決まって達成感に浸りながら口にする甘いコーヒー・・・。
その味は、サーメルさんが宿泊中毎晩淹れてくれたネス・カフェの足元にも及ばない。

アンマン2

↑アンマンの街並み


2005年12月30日~2006年1月2日・8日の思い出
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夏に開催されるサッカー・ワールドカップに向け、ドイツ各地で売春宿建設が激化している。世界中から集まるであろう男性サポーターをターゲットに、その筋の敏腕オーナーが挙って新店舗を展開しているのだ。最近、そのてのニュースがドイツ全土を騒がせて(盛り上げて)いる。ベルリンでは、常時5000人もの女性を待機させられる巨大売春施設を建設中。フランクフルトでも、新たに2軒のFKK(高級売春サウナ施設)がオープンした。これに伴い、旧ソ連や中欧諸国からは勿論のこと、スペインやポルトガルなどの南欧諸国からも、大勢の女性たちが引っ張られているらしい・・・。

さて、世界各国からやってくる男性客を虜にするのは、地元ドイツ人女性の鍛え抜かれた下半身か?!それとも南欧女性のテクニックか?!はたまた中欧女性のキャリアが上か?!夜のワールドカップ、こちらも目の離せない激しい試合展開が予想される。僕も日本の代表として、今夜あたり親善試合でも行ってこよう・・・。

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今日は週末、久々に完徹を決行した。ブログの更新を終えた後、立て続けに観賞した映画は計三本・・・。まぁ、それらの賛否をここにどうこう書くつもりはない。僕が今回書き記したいのは、全ての映画を観終えた後、つけっ放しになっていたパソコンに目をやった時の話だ。

ソーシャル・ネットワーキングサイト「mixi」・・・。そこには、遠く離れた母国で頑張っている友人達の情報が詰まっている。友人の内の一人が、今朝(日本時間は昼過ぎ)新たに日記を更新していた。内容は、ダイエーを訪れた友人本人が、醜く成り下がったオバハン連中の姿を目の当たりにし、それに対する不満を静かに読み手に訴えるというものだった。その意見に同意しつつ、僕が何気に彼のプロフィールを覗いていると・・・、何か違和感のようなものを感じた。出身地が大阪府大阪市・・・??「あれ??アイツ、奈良やなかったっけ??」そう思ったのだが・・・。まぁ、おそらく僕の勘違いだろう・・・。

さて、そろそろ寝るかー!
おやすみ!

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シナイ山1

↑聖地シナイ山


旧約聖書 出エジプト記 第20章 ~十戒の授与~
エジプトを脱出してから三ヵ月後、モーセの一行はシナイ山の麓に着いた。
モーセはシナイ山へ登頂を始め、そこで神より十戒を授かる。
十戒には以下が記されていた。

01. あなたは私の他に何者をも神としてはならない。
02. あなたは自分の為に刻んだ像を造ってはならない。
03. あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
04. 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
05. あなたの父と母を敬え。
06. あなたは殺してはならない。
07. あなたは姦淫してはならない。
08. あなたは盗んではならない。
09. あなたは隣人について偽証してはならない。
10. あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
(カトリックの解釈では、「02」が省かれ、最後に「あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。」が付け加えられている。 )

シナイ山2

↑聖なる御来光


早朝二時頃から巡礼者に混じり、真っ暗な闇の中、懐中電灯を頼りに三千数百段の階段を一歩一歩登った。
死を覚悟するほどの極寒、暗闇の恐怖、そして疲労・・・。
宗教心の欠片も持ち合わせていない僕が、こんなに苦労をしてまでシナイ山の頂点を目指した意味・・・。
ゆっくりと辺りがオレンジ色に染まっていった時、その答がハッキリと理解できた。
かつてこの地で神から十戒を授かったモーセは、一体どんな想いでこの朝日を浴びたのだろう。
僕の場合、偽証と姦淫だらけの人生だが、シナイ山の頂から聖なる御来光を眺めていると、少なからず心が洗われるような気がした。

シナイ山3

↑朝日を眺める現代のモーセ


2005年12月26日の思い出
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昨日、悪友と一緒に「NHK紅白歌合戦」の録画DVDを観た瞬間、2006年という新しい一年がスタートしてから18日目にしてようやく、僕は気持ち良く年を越す事ができた。一応新年は旅先のアンマン(ヨルダン)で迎えたのだが、どうもこうスッキリしないものがあったのだ。やはり僕は日本人、紅白を観ずしてどう年を越す事ができようか。まぁ出場者の半分は知らない人達だったが、それはそれで新鮮に観る事ができ、かなり遅い大晦日気分を存分に楽しませてもらった。日本の親父・北島三郎、大阪のオカン・天童よしみ、アジアの中性・和田アキ子、みんな本当に素晴らしく、その圧倒的な歌唱力にはただただ脱帽するだけだった。でもやはり一番嬉しかったのは、日本一カッコイイ男・木村拓哉が健在だったって事だ。父親となっても尚、あれだけの美貌と人気を保てる巨星・・・。やっぱり彼は、カッコイイ!!

DVDを見終えると、僕は母国の名曲と白組の勝利に浸りながらトイレに向かった。便座に腰を下ろし踏ん張りながら「川の流れのように」を口ずさむこと約五分、全ての意味でスッキリと新年を迎える事ができた。昼間食べたパスタを全く異なる物体として便器に放出し終えた僕は、手を洗いながらふと鏡に目をやった・・・。キ、キムタク??昔からみんなに言われていた事だが、確かに僕とキムタクはよく似ている・・・。ドイツに渡っても尚、これだけの美容と笑顔を保てる巨根・・・。やっぱり僕は、カッコイイ!!

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エジプトを訪れて一週間以上が経過し、僕は心底疲れていた
しかしこのアブ・シンベルという小さな村は、そんな僕を温かく迎え入れ、そして癒やしてくれた。
今回は、エジプトに行って初めて経験した真実の温もりについて記していきたいと思う。

アブ・シンベルと聞いて、誰もが頭に思い浮かべるのはアブ・シンベル大神殿だろう。
巨大な一枚岩から成るその雄々しい姿は、訪れた人々に古代文明の高さを認識させ、同時に建設を命じた古の英雄ラメセス2世の強大な権力を思い知らせる。
またこの神殿は、かつてアスワンハイダムの完成による水没の危機に立たされていた時、ユネスコが大々的な救済活動(移築工事)を行った事でも一躍有名になった。
現在ナセル湖を見下ろすこの神殿は、古代と現代の技術と努力の融合体として、僕の胸に大きな衝撃を与えた。
特に朝日に照らされた時の神殿は、普段とは一味違った優しい表情を見せ、ついつい見惚れてしまったのを覚えている。
遺跡の宝庫と呼ばれるエジプトの中でも、代表的な見所として認知されているアブ・シンベル大神殿・・・、そこには年代を超えた全人類の魂が込められていた。

アブシンベル1

↑朝日に染まるアブ・シンベル大神殿


エジプト旅行最大の目的であったアブ・シンベル大神殿の訪問、期待通り今まで見た数々の遺跡の中でも最上級の神殿だったと感じた。
しかしそれ以上に、僕にとってはこの村で口にした夕食の味が忘れられない。
神殿からホテルに帰る途中に話しかけてきた二人の男、サフィーとハッサン。
神殿で働くこの二人のヌビア人のおかげで、僕はアブ・シンベルという小さな村で最高の思い出を作る事が出来た。
夕食に招待され、彼等の家族と一緒に食卓を囲み、お互いの母国について話しながらヌビア料理を味わった。
食後はシャイを片手に皆で踊り、疲れたらシーシャ(水パイプ)を吸ってちょっと一息、そしてまた踊り出す。
深夜まで騒いだ後、サフィーと彼のご両親が僕をホテルまで送ってくれた。
車から降りる時、サフィーは僕に大きな箱を手渡して言った。
「美味しいから食べてね!」
彼のお母さんによる、お手製アラブ菓子の詰め合わせだった。
「いつもより甘くしておいたからね!他では買えないよ!だから、食べたくなったらまたおいで!」
ヌビア人独特の愛敬溢れる笑顔を浮かべたサフィーのお母さんは、車の窓越しにそう叫んでいた。
運転席にいたお父さんは、一言「良い旅を!」とだけ言って手を振った。
結局最後まで金の話を一切出さないまま、彼等は去って行った・・・。
視界から消えて行くオンボロ車に手を振りながら、どこかで彼等を疑っていた自分自身を恥ずかしく思った。
金目当て以外で受けた歓迎・・・。
それがどんなに嬉しい事だったかは、ヘビーなアラブ諸国を一人で旅した者でなければ分からないかもしれない・・・。
この日に過ごした一夜こそが、僕のエジプトでの最高の思い出であったと言える。

アブシンベル2

↑エジプトで初めて出会ったイイ奴、サフィー


世界遺産アブ・シンベル大神殿は、言うまでもなくエジプト最大の観光名所だ。
毎日、世界各国から大勢の観光客が押し寄せる。
しかし訪れる観光客は、日帰りで神殿だけを見にくる人がほとんどだ。
この村に神殿以外の名所がない事や、スーダンとの国境近くというこの村の位置関係からか、訪れる人はツアー客はもちろん、個人旅行者もアスワンからの日帰りツアーに参加するのが一般的とされている。
僕のように、現地人が利用するローカル・バスに乗ってこの村を訪れる変わり者なんてほとんどいない。
よって、アブ・シンベルの村自体は驚くほど観光地化されていない居心地の良い所だ。
当然、観光客ズレした悪徳商人や客引きなども(僕が見た限りでは)いない。
確かにホテルやレストランなどの施設は異常に少ないが、光りと音のショー(ライトアップされた神殿)や朝日に染まる神殿などは日帰りでは堪能できない。
だから僕は、是非この村で宿泊する事をお勧めする。
何よりも、明るいヌビア人の広い心に触れる事ができると思うから。

2005年12月20日・21日の思い出
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白砂漠や黒砂漠、西方砂漠にクリスタル・マウンテン・・・。
エジプトの砂漠には、旅行者を惹き付ける魅力的な名所が数多く存在する。
21世紀の現代社会から離れ、広大な砂漠をジープで疾走し、キャンプファイヤーを皆で囲みながら夜空一面に散らばる無数の星を眺める。
やがて東から昇ってくる朝日に見惚れ、黄金色の空間に我を忘れる・・・。
僕にとって、一泊二日の砂漠ツアーは、エジプトで最初に体験したインパクトの強い思い出となった。

砂漠1

↑白砂漠


ツアーの基点となる村バフレイヤ・オアシス、カイロからのバスで僕が到着した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
騒々しい大都市カイロとは打って変わって、非常に穏やかな雰囲気だった。
「観光客はバスから降りた瞬間、大勢の砂漠ガイドに囲まれる」、そう聞いていたのだが・・・、砂漠ツアーの客引きなど全く見当たらなかった。
まぁ、夜遅くに着くバスだったので、当然と言えば当然か。
とりあえずホテルを目指し歩き出そうとしたその時、一人の男が僕に声をかけてきた。
自称・砂漠ガイドのその男から手渡された一枚の名刺には、太字で「Desert Tiger」と書かれていた。
彼からの説明は一通り聞いたが、この「砂漠の虎」にツアーを依頼するかどうかは、料金に関する事や見て周るポイント、更に食事の有無などの条件をじっくり話し合った上で決めねばならないと判断し、明日の午前中にもう一度会う約束を交わした後、僕は一人でホテルに向かった。

砂漠観光というのは実にやっかいだ。
欧州の古城や教会を訪ねるのとは訳が違う。
公共の交通機関を利用して簡単に出向く事など出来ないのだ。
本来、僕の旅のスタイルは個人自由旅行タイプで、なるべくツアーへの参加はしない。
生粋のMという事もあり、出来るだけ辛い思いをしながら低予算で周遊するのを良しとする。
しかし、この砂漠という大自然を安全かつ効率的に満喫するには、残念ながらその地を知り尽くしたガイドによるツアーに参加せざるを得なかった。
基本的にツアーの料金は車(ジープ)一台で値段が設定されており、一人当たりの出費を抑えるには数人でシェアする事が絶対条件となる。
また、何人かで参加する場合も、事前に食事の内容や持参する防寒具などのオプションについては、事細かに話し合っておく必要がある。
トラブルを避ける為には、観光するポイントだけでなく料金の支払い方法等もしっかり確認しておくのがセオリーと言える。
とにもかくにも一人で村に到着した僕にとっては、まず一緒にツアーに参加する旅人数人を見つけ出す事が最優先課題だった訳だが、それは翌朝カイロから来た韓国人家族(3人)と出会えた事で簡単にクリア出来た。
午前中、全ての条件をキッチリと話し合った上で、結局「砂漠の虎・アザム」を雇い砂漠に向かう事が決定した。
ちなみに、韓国人家族が乗ったカイロからのバスがバフレイヤ・オアシスに到着した時は凄かった。
観光客争奪戦が群がる自称ガイド達によって行われ、その白熱ぶりといったらワールドカップ以上だった。
客の横取りを企てた一人の砂漠ガイドに対してアザムが飛び蹴りをカマした瞬間、何故彼が「デザート・タイガー」と呼ばれているかが少しだけ理解出来た。

出発してから約二時間、舗装された道路と黒砂漠ロードを交互に走り抜け、午後四時頃にはキャンプ地である白砂漠に到着した。
アザムとガイド補助のおじさんが二人でテントの準備をしている間、僕は韓国人家族と「ヨン様」「ピ様」などのしょーもない話題で盛り上がっていた。
やがて漆黒の闇が砂漠全体を覆った頃、アザムが自慢げに東の方角を指差した。
「ムーン!」、・・・月である。
月が東から昇ってくる・・・、当たり前の話だが、日常生活の中で我々がこの光景を目にする事はあまりない。
我々が知っている月とは、気付けば上空に薄っすら浮かんでいるものだからだ。
しかしここ砂漠では、輝きを放ちながら月も東から昇ってくる・・・。
エジプト最初の感動は、この瞬間に感じた。

月が完全に昇りきった頃から、若干辺りは明るくなった。
月光とキャンプファイヤーの灯りの中、僕等はベドウィン流の踊りやゲームを楽しみながら時間を過ごした。
アザムが作った料理は本当に美味しかったし、食事中にヒョッコリ現れたキツネ君も愛らしかった。
食事の後、僕は一人でゆっくりと白砂漠を散歩してみる事に・・・。
そこには、無音の世界が広がっていた。
自分以外は何も存在しないような不思議な錯覚に捉われ、僅かな月と星の輝きだけが延々と続く砂の大地を照らしていた。
ただただ静かな時だけが流れ、風の音すら存在しない無音の世界・・・。
僕は大自然に囲まれながら、エジプト二度目の感動を味わった。

深夜二時過ぎ、アザムが用意した寝袋に包まり三枚の毛布をかぶって眠りに・・・、つけない!!
眠れるはずがない!!
寒い、死ぬほど寒い!!
結局僕は、ほとんど寝る事が出来なかった。
「自然とは、美しいだけのものではなく、恐ろしいものでもある!」、エジプトに来て最初の恐怖を僕はこの夜体験した。

砂漠2

↑日の出


午前六時過ぎ、僕等は待ちに待った朝日を目の当たりにした。
薄いピンク色の太陽光が砂漠に反射し、黄金色の空間を作り出す。
「寒さに耐えてまで、この瞬間を待ったかいがあった」、僕はそう思った。
この時目に映った光景が、僕をエジプト四度目の感動へと誘った事は言うまでもない。
その感動を胸に抱いたまま、僕等は西方砂漠やクリスタル・マウンテン、黒砂漠を見て周った後、バフレイヤ・オアシスに戻ったのだった。

砂漠3

↑黒砂漠と俺


「あれ??では三度目の感動はいつ味わったの??
・・・その答はここには記したくない。
とりあえず今回は、このままキレイに終わっておきたいと思う。

2005年12月17日・18日の思い出
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今朝(午前2時頃)、旅先から久しぶりにマンハイムに帰ってきた。バックパックを放り投げ、おおさじ三杯の砂糖を熱いコーヒーに溶け込まし、タバコを吸いながらそっと窓の外を眺めた。見慣れたマンハイムの夜景が、疲れたきった僕の心を温かく迎え入れてくれた。短くなったタバコを灰皿に押し付けるまでの間、一人脳内で旅の思い出を整理する。味わった感動と屈辱の日々、それらを思い起こしながらそっと二本目のタバコに火を点けた。達成感にも似た清々しい感情が、窓ガラスに自分自身の表情をいっそう男前に映し出す。甘いコーヒーとメンソールの香りが口全体に広がった時、静かに自分自身に酔いしれた。この瞬間こそ、一人エッチ以上の快感を僕に与えてくれる最高の一時なのである。しかし、「やっぱりこの街(マンハイム)が一番だ!」と思えない事が、少し悲しい・・・。「またこの退屈な街での退屈な生活が始まるのか・・・」その思いが、自分に泥酔していた僕を再び我に帰らせた。ふとカレンダーに目をやると、そこには「13.Januar.2006 Freitag」と書かれていた。13日の金曜日・・・、今日から再びマンハイムでの不吉な日々が始まる・・・。

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1月8日日曜日(国境→エルサレム)
国境での美人警官による質問攻めから解放されたのが午後2時頃。
そこから荷物の再検査でさらに1時間を無駄にする。
午後3時過ぎにイスラエル入国。
入国スタンプはちゃんと別紙に押してもらえた。
聖地に足を踏み入れる。
旧市街を観光、その広さに圧倒される。
機関銃を背負ったユダヤ美人とすれ違う旅に振り返る、そして見惚れる。
女性にも兵役の義務(2年)がある国を初めて歩き回る。
「治安はとても悪い!」、そう思う。
物価の高さに驚く。
安宿「パルム・ホステル」泊。

1月9日月曜日(エルサレム→パレスチナ自治区→エルサレム)
朝からパレスチナ自治区へ移動する。
アラファト議長のポスターが街に溢れていた。
エルサレムに戻り、再び聖地を見て回る。
嘆きの壁の雰囲気や、オリーブ山からの眺めを堪能する。
夜間の一人歩きを遂行して、宿のシスター(宿を管理する熱心なキリスト教信者のおばさん)に叱られる。
僕を待っていてくれたシスターと二人で遅い夕食を採る。
あまりの感動に涙腺が緩む。
「エルサレムの母」シスターが切り盛りする安宿、「パルム・ホステル」泊。

1月10日火曜日(エルサレム→エイラット→ターバー→カイロ)
あまりの居心地の良さに、イスラエル滞在の延長を考える。
しかしエジプトの再入国ビザの有効期限がこの日までであったため、涙ながらイスラエルに別れを告げる。
エイラット行きのバス内で、女性軍人ターシャちゃんと出会う。
到着までの間、様々な話を聞く。
この日はモスリムの祭日であったため、午後9時まで国境が閉鎖されており、少し待たされる。
イスラエルの出国スタンプを、完璧にパスポートに押される。
「別紙に押して!」と何度も言ったにも関わらず、パスポート上に押される。
歩いて国境を渡り、エジプトに再入国。
旅人数人でシェアし、セルビスで一気にカイロを目指す。
車中泊。

1月11日水曜日(カイロ→サッカーラ→カイロ)
朝5時半にカイロに到着。
今回の旅最後のチェックインを済まし、サッカーラの階段ピラミッドを見学。
ついに念願だったラクダに乗る。
お土産を探して街を練り歩く。
安宿「イスマイリア・ホテル」泊。

1月12日木曜日(カイロ→シュトゥットガルト→フランクフルト→マンハイム)
カイロ最大のお土産市場「ハーン・ハリーリ」で買物をする。
昼過ぎ、ホテルからタクシーで空港へ向かう。
結局、リコンファームをしないままチェックインを済ませる。
シュトゥットガルト行きのフライトが1時間強遅れる。
機内で流れるドイツ語のアナウンスを聞いてホッとする。
フランクフルト国際空港からマンハイム行きの列車(IC)を1時間ほど待つ。
その列車が30分以上遅れる。
「Mannheim Hbf」と書かれた駅の看板を写真に収めた瞬間、今回の度の全行程が終了する。

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1月6日金曜日(バールベック→ベイルート)
シリアのホムスから直接バールベックへ入る。
レバノン最大の名所、バールベック遺跡を見学。
あまりの素晴らしさに驚く。
遺跡の見学後、ミニバスで首都のベイルートへ移動する。
中東諸国で最も垢抜けた都市だと感じる。
イスラム教とは思えぬセクシーな女性たちに心を奪われる。
売春宿を探す。
本場のアラブ料理を暴食する。
凄く楽しむ。
安宿「タラルズ・ニュー・ホテル」泊。

1月7日土曜日(ベイルート→ダマスカス→アンマン)
午前中ベイルートを観光。
アメリカン大学に侵入する。
女学生を写真に収める。
レバノンを楽しむ。
またレバノンを訪れる事を心に誓う。
乗り合いタクシーを利用しダマスカスへ移動する。
乗り合いタクシーを利用しアンマンへ移動する。
午後11時前に到着。
非常に疲れる。
サーメルさんに再会する。
安宿「クリフ・ホテル」泊。

1月8日日曜日(アンマン→キング・フセイン橋国境)
朝からヨルダンとイスラエルとの国境に向かう。
ヨルダンを簡単に出国。
しかし、イスラエル入国までにかなりの時間がかかる。
シリアとレバノンに入国した僕を、女性警官の鋭い質問が襲う。
時間だけが過ぎて行く。

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1月2日月曜日(シリア側国境駅→ダマスカス一歩手前)
列車のアクシデントにより、ダマスカスに着けなくなる。
陽気な駅員たちと一緒に「仮眠室」で一泊。

1月3日火曜日(ダマスカス)
早朝6時前に起こされる。
ようやく電車が快調に走り出す。
午前8時15分、やっとの思いでダマスカスに辿り着く。
翌日に備え、クネイトラ行きの許可証を申請し、数分後に受け取る。
オールド・ダマスカス(旧市街)を観光。
世界最古のモスク、ウマイヤド・モスクに見惚れる。
全身真っ黒な女性に圧倒される。
夜、アンマンで別れたケンジさんに再会する。
コケシに似た日本人女性と出会う。
安宿「エル・アルビ」泊。

1月4日水曜日(ダマスカス→クネイトラ→ダマスカス→クネイトラ→カシオン山→ダマスカス)
タクシーをチャーターし、クネイトラとカシオン山の見学に向かう。
クネイトラの入場ゲートで、許可証が昨日の日付けだと指摘される。
一度ダマスカスに戻り、再度申請し直す。
貴重な時間を3時間ほど無駄にし、ようやくクネイトラを見学。
破壊された町全体がアウシュビッツ(ポーランド・クラクフ)以上の冷たい空気に覆われ、ただただ呆然とする。
カシオン山から眺めるダマスカスの夜景に少し慰められる。
夜、今後の旅の計画が相当押している事に焦る。
安宿「エル・アルビ」泊。

1月5日木曜日(ダマスカス→パルミラ→ホムス)
シリア最大の遺跡があるパルミラを目指す。
車窓から「バグダッド」と書かれた標識を目撃し、今自分が旅している場所が中東である事を再度実感する。
パルミラを見学する。
交通の拠点、ホムスに移動する。
夜、ダマスカスで会ったコケシ女性に偶然再会する。
安宿「エル・ナセル」泊。

1月6日金曜日(ホムス→バールベック)
朝、ホムスのモスクを少し見学した後、レバノン行きのバス乗り場に向かう。
乗り合いタクシーでレバノンを目指す。

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2005年12月27日火曜日(アカバ→ワディー・ムーサ)
ヌエバア(エジプト)からフェリーでヨルダン入国。
船内で怪しいスキンヘッドの男・ムハメッドと、優しそうな日本人男性・コウジさんに出会う。
夜9時頃、数人でシェアし一気にワディー・ムーサへ移動する。
一悶着ある。
ムハメッド経営の「開店前ホテル」にコウジさんと泊まる。

2005年12月28日水曜日(ワディー・ムーサ)
ヨルダン最大の観光地・ぺトラ遺跡を堪能する。
「開店前ホテル」に電気が通る。
夜、ムハメッド達と馬鹿騒ぎする。
ムハメッド経営の「開店前ホテル」泊。

2005年12月29日木曜日(ワディー・ムーサ)
ヨルダン最大の観光地・ぺトラ遺跡をこの日も堪能する。
遺跡内で、32歳妻子持ちの日本人男性ケンジさんと出会う。
ムハメッドの自宅でホット・シャワーを浴びる。
夜、ムハメッド達と超馬鹿騒ぎする。
ムハメッド経営の「開店前ホテル」泊。

2005年12月30日金曜日(ワディー・ムーサ→アンマン)
朝一、乗り合いミニバスを利用し首都アンマンを目指す。
途中、車窓から「羊市場」を目撃する。
到着後、半日で数少ない見所を周る。
サーメルさんと出会う。
イラク日本人人質事件で捕らえられた全ての邦人が入国前に泊まっていた安宿「クリフ・ホテル」泊。
2005年12月31日土曜日(アンマン→死海→アンマン)
コウジさんとケンジさんと三人で死海に浮きに行く。
夏にペスカーラ(イタリア)で購入した海パンを久々に着用する。
あまりに辛い海水に絶句する。
塩だらけになったままアンマンに戻る。
同じホテルに宿泊していた日本人たちと新年を迎える。
サーメルさんの人柄に感動する。
安宿「クリフ・ホテル」泊。

2006年1月1日日曜日(アンマン→サルト→アンマン)
コウジさんがエルサレム(イスラエル)へ、ケンジさんがダマスカス(シリア)に旅立ち、またしても一人ぼっちになる。
サルトに日帰りで観光に出向く。
絶望したままアンマンに戻る。
安宿「クリフ・ホテル」泊。

2006年1月2日月曜日(アンマン→ダマスカス)
一旦サーメルさんに別れを告げる。
絶対外せない旅の目的であったヒジャース鉄道を利用してシリア入国を目指す。
出発前、自分が乗る車両の窓が何枚か割れている事に疑問を持つ。
駅員が出発前に新しいガラスにハメ変えていた事にも疑問を抱く。
ヨルダン側の国境駅に着くまでに、全ての謎が解ける。

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