THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (本編)


   
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サラエヴォの夜、僕はアルバムに貼られた何枚もの写真に目を通していた。
弾力のないソファに座らされ、苦いトルコ・コーヒーを片手にただひたすらページをめくった。
警察という国家権力から僕を救い出してくれた恩人が、所々で写真に解説を加える。
二次元の世界でそれぞれポーズをキメる同郷のモデル達は、皆満面の笑みで僕を迎えてくれた。
そのおかげで、入国時の嫌な記憶が、僅かだが確実に薄らいでいくのを感じた。
それが、この後発生する嵐の前の静けさである事など、・・・一体誰が予想できただろうか。
街の中心から大分離れた古汚いアパートの一室、外壁には無数の銃痕が生々しく残っていた・・・。

ドブロヴニクからバスでボスニア・ヘルツェゴヴィナに入国した僕だったが、首都サラエヴォに着いてすぐ警察署に連行された。
そうだ、僕は逮捕されたのだ。
人生で初めて味わった手錠の重み、薄暗い取調室、そして異国の警察の威圧感・・・。
自分が通った経路や今後の予定、入国の目的等を僕は必死で説明した。
幸い取調官はドイツ語が話せ、言葉の面ではなんとか互いの主張が理解できた。
しかし僕が何を言っても、相手は「Deine Einreise ist illegal!!」の一点張りで、全く聞く耳を持ってはくれなかった。
どうやら、罪名は「不法入国」らしい。
この後一時間ほど続いた話し合いは、交わることなく平行線を辿った。
「Buerge」・・・保証人(この状況では身元引受人)、半ば呆れ果てたような表情を浮かべながら、取調官の口からついにこの単語が飛び出した。
つまりこの国に滞在する二日の間、僕の身元を保証してくれる人間が必要だというのだ。
「馬鹿ですか?!サラエヴォに僕の知り合いがおる訳ないやろ!!」そう思った(が、当然口には出さなかった)。
・・・しかし、僕はここである事を思い出した。
ドブロヴニクでプライベート・ルームの女主人から手渡された一枚のメモの事を。
確かそこにはサラエヴォで働く女性の電話番号が書かれていたはずだ。
僕はすぐさまそのメモを提出し、彼女に助けを求めることにしたのだった。
しばらくしてから、一人の細い白人女性が迎えにきた。
これが、僕と彼女との最初の出逢いだった。
見ず知らずの日本人に救いの手を差し伸べてくれた女性の名はヤスナ、彼女がいなければ僕は一体どうなっていただろう。
ここサラエヴォでプライベート・ルームを営む自称29歳の独身女性、それは釈放後交わした自己紹介によって明らかになった。
どう見ても外見は僕のオカンと同世代だったのだが・・・、そんなことはこの時の僕にはどうでも良かった。
やたらとキスをしてくる馴れ馴れしいオバハンだったが、彼女が僕を救ってくれた事に変わりはないのだから・・・我慢していた。

ヤスナが経営する一泊5ユーロのプライベート・ルーム、それは紛争の爪痕が残るアパートの最上階に存在した。
荷物を置いた後、彼女はすぐにコーヒーを淹れてくれた。
同時に渡された一冊のアルバム、それは日本人男性の写真のみで構成されている物だった。
ヤスナと肩を組んで写る日本男児たちの笑顔、本当に最高の旅を満喫していったのだと・・・その時はそう思った。
写真観賞が一段落すると、僕はヤスナと共にいざサラエヴォ観光に出掛けた。

予想以上に、サラエヴォの旧市街は見応えがあった。
バシチャルシャ周辺の歴史地区はどことなく京都の香りに似ていて、非常に落ち着いて見学できたのを覚えている。
奇妙な英語で必死に説明してくれるヤスナ・・・。
第一次世界大戦の引金となったサラエヴォ事件、その舞台であるラティンスキー橋の説明の時、彼女が語った年号が僕の知っているものと食い違ったものの、一生懸命この街の事を説明してくれているのだと黙って聞くことにした。
驚いたのは、観光中に使った全ての費用を彼女が出してくれたことだった。
食事や交通費、入場料にお茶代、おまけにお土産まで買っていただいた。
本当に至れり尽くせりで、その日は最高のサラエヴォ観光を経験できた。
しかし次の日の僕は、ヤスナとではなく一人での街歩きを希望した。
それには勿論訳があり、それを語るにはあの「魔の一晩」の話をしなくてはならない・・・。

サラエヴォの夜、僕はアルバムに貼られた何枚もの写真に目を通していた。
弾力のないソファに座らされ、苦いトルコ・コーヒーを片手にただひたすらページをめくった。
警察という国家権力から僕を救い出してくれたヤスナが、所々で写真に解説を加える。
二次元の世界でそれぞれポーズをキメる同郷のモデル達は、皆満面の笑みで僕を迎えてくれた。
そのおかげで、入国時の嫌な記憶が、僅かだが確実に薄らいでいくのを感じた。
それが、この後発生する嵐の前の静けさである事など、・・・一体誰が予想できただろうか。
二冊目のアルバムを手渡された僕は、そこに整理された無数の写真を見て目を疑った。
若かりし頃のヤスナ自身の写真・・・。
水着姿やミニスカート、中にはセミヌードらしきものまで存在した。
それらが本当に本人であるかどうかよりも、その写真を元に強烈にモーションをかけてくる現在のヤスナに問題があった。
出遭った当初から何度も唇を奪われた僕だったが、舌まで入れようとする彼女の異常な行動に気付いた時点で、二泊を予定していたサラエヴォ滞在を一泊に変更したのだった。
ヤスナ家で過ごした「魔の一晩」・・・、その全てをここに書き記すことは出来ない。
このブログは僕が旅行記や日記などを記すために作成したものであって、決して官能小説を載せるためのものではないからだ。
街の中心から大分離れた古汚いアパートの一室、僕の心にも無数の銃痕が残ってしまった・・・。
次の夜、僕は傷心のまま夜行バスでザグレブ(クロアチア)に向かった・・・。↑・・・ヤスナさん

彼女が旅人の中では(ある理由で)有名なヤスナ(別名イワナ)であることを知ったのは、それから一月が過ぎた後だった。
でも、彼女が僕の恩人であることに変わりはない。
彼女にもちゃんと一言・・・フヴァラ!

ボスニア

↑9日にはサラエヴォでサッカーW杯予選の試合が行われた。



2004年10月8日・9日の思い出
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