THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (本編)


   
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傷と共に貴重(?)な経験を胸に抱いたまま、僕は早朝ザグレブに到着した。
約一週間ぶりのザグレブ、大雨という最悪の天候のせいか、僕のテンションはどん底まで下がっていた。
溜まり溜まった疲労と表現しようのない疎外感、そして憂鬱・・・。
異国を旅する上で絶対感じずにはいられないこの三つの問題が、この時僕の全身を支配していた。
しかしそれも、もう少しの辛抱だ。
あとちょっとすれば、友人・Rさんがドイツからやって来る。
旅行中何度か彼とメールのやりとりをし、一緒にベオグラードに行く為、今日ここザグレブで合流することになっていたのだ。
母国語での会話、それはきっと今の僕を勇気づけてくれるだろう。
幸い(?)話の種には困らない。
この一週間で体験した様々な出来事を、面白おかしくRさんにブチ撒けよう。
そう、僕は誇り高き関西人、脚色に脚色を重ねてオーバーに伝える話術を持っている。
ザグレブ中央駅で、「つかみ」から「オチ」までの構成を一人黙々と考えている内に、時計の針はあっという間に進んでいった。

「隆浩く~ん」、懐かしいRさんの呼び声が僕の耳に届いた。
しかし会話をする間もなく、僕は彼に連れられるがまま駅構内の両替所に急いだ。
Rさんはトラブっていた・・・。
説明を聞くと、それは実に簡単な問題だった。
ドイツ国鉄が切符(ミュンヘン発ベオグラード行き)の発券をミスっていたのだ。
一本の列車で、いくつもの国境を越えて外国へ向かう。
それは日本では経験することの出来ないもので、同時に欧州旅行の醍醐味の一つでもある。
Rさんはベオグラード(セルビア・モンテネグロ)までの切符を、出発地であるマンハイム(ドイツ)で購入した。
発券された切符には、しっかりとベオグラード行きと記載されてあった。
しかし、問題はルート(経由)にあったのだ。
マンハイムからベオグラードに行くには、二つの行き方がある。
ミュンヘン→ザルツブルク→リュブリャーナ→ザグレブ→ベオグラード、そしてミュンヘン→ウィーン→ブダペスト→ベオグラードだ。
超える国境の数では後者の方が少ないのだが、所要時間は両方大差はない。
むしろ前者の方が乗り換えがない分、若干早いくらいだ。
Rさんは購入時にちゃんと経由国を伝えたらしいが、ドイツ国鉄の係員は別のルートを切符に記載してしまったのである。
どちらのルートも、値段は全く同じだ。
しかしクロアチア鉄道の車掌は、「経由国が違うのでこの切符は無効」だと主張した。
その差額を現地通貨で支払う為、Rさんは両替所に並んだのだ。
まぁ、この問題は、旅行後ドイツ国鉄が全額負担してくれた事で無事解決した。

ベオグラード行きの列車がくるまで、我々はショボイ街ザグレブを仕方なしに観光した。
見所は・・・特になかった。
聖マルコ教会ぐらいだったのではないだろうか。

ベオグラード1

↑ザグレブ唯一の見所(?)の聖マルコ教会



ベオグラード到着直前に車窓から見た風景が、セルビア・モンテネグロという国での最初の驚きだった。
いわゆるスラム街とでも言うのだろうか。
高層ビルが立ち並ぶ中、線路沿いにポッツリと現れた集落・・・。
屋根の上に無造作に置かれたタイヤの数々、寒いなかTシャツ一枚で生活する人々・・・。
この国が抱える問題の一部を垣間見れたような気がした。
激しい貧富の差、今後それらが少しずつ改善されることを願っている。

ベオグラード2

↑車窓から見た集落



第二の驚きは、この街に住む女性の美しさだった。
メイン・ストリートを歩いていて、ブスを全く見なかったのだ。
東欧や中欧諸国の混血によるものか、あるいは食生活に理由があるのだろうか・・・?
真相は定かではないが、中央駅構内にある両替所のお姉さん、そっけなく愛想のないその表情が僕のM魂に火を付けた。
この街で再確認したこと、・・・僕はキレイなお姉さんが大好きです!

第三の、そして最大の驚きは、巨大な廃墟だった。
1999年にNATO軍の空爆によって破壊されたビルが、今もそのままの姿で僕らに語りかけてきた。
「平和な世の中を!」・・・と。
この事に関しては、あまり多くを書くことは出来ない。
実際にそこに行って、自分の目で確かめてみないことには、なかなか理解出来ないだろうから・・・。

ベオグラード3

↑戦争の傷跡



ベオグラードというのは新しいながらも本当に良い街で、ドナウ・サヴァ川などの自然やカレメグダン公園などの歴史を感じさせる見所も(少ないが)存在する。
しかし僕がそれらを知るようになるのは、二度目にこの地を訪れた時以降であった。
こうして、僕が最初にフヴァラ諸国を周遊した旅は、とりあえずここセルビア・モンテネグロで終わりをむかえ、ハンガリー経由でドイツに戻った。
ブダペストとウィーンを(ちょこっと)観光した後、住み慣れたマンハイムに帰る電車の中で、僕はRさんにしっかりと面白トークを聞いてもらった。
その結果、「またいつか周ってみたいものですね、フヴァラ諸国!」という結論に至った・・・。

「どこが一番よかったですか?」
ヨーロッパを旅するようになってから、急に増えた質問がこれである。
しかし、この質問に答えを出すのは困難だ。
当然人にはそれぞれの好みや美的感覚があり、「一番良い」というものを一言で片づけるのは不可能だからだ。
したがって、僕はいつも「一番良い所」ではなく「一番多く訪れている所」を答えとして挙げている。
それが・・・フヴァラ諸国だ。
2005年11月16日現在、僕はこの魅力溢れるフヴァラ諸国を計5度訪れている・・・。

2004年10月10日~13日の思い出
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