THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (本編)


   
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「あなたは神を信じますか?」
中学生の頃、下校途中に梅田駅(阪急電鉄)周辺で度々こういった質問を受けた。
某新興宗教団体の勧誘に対して、僕はキリスト教主義の学校に通っていたにも関わらず、常に「信じません」と答えてきた。
一度として神という存在をこの目で見た事がなかったからだ。
あれから十年以上の月日が流れ、現在の僕は宗教色が根強く残るヨーロッパの地で生活している。
しかし残念ながら、未だにイエスにも仏陀にもアラーにも出逢えていない。
宗教という極めて難しいテーマについては、何度も多国籍の友人達と語り合ったものの、やはり僕は神の存在を信じられずにいる。
今回は、そんな僕が神の存在を確かめに行ったイタリア旅行の話をしたいと思う。

イタリアのブレーシャ、確かに神様はそこにいた・・・。
ブルーの聖衣を身に纏い、数々の奇跡を起こし人々に勇気と感動を与えてきた神様が、僕の目の前にいた。
パレスチナでもインドでもメッカでもなく、彼は聖地「MARIO RIGAMONTI スタジアム」に降り立った。
生きた伝説「ロベルト・バッジォ」、言わずと知れたサッカー界のスーパースターである。
十代の頃よりその天才的な才能を発揮し、世界最高峰リーグ・セリエAの中で「ファンタジスタ」の名をほしいままにしてきた。
針の穴をも通すスルーパス、すり抜けるようなドリブル、そしてどんな窮地に陥っても諦めずゴールを見据える視線・・・。
一体どれだけのサッカーファンが彼に魅了されたことだろうか。
ポニーテールを揺らしながらフィールドを駆け抜けるアズーリの英雄、人々は彼のことを「サッカーの神様」と呼んだ・・・。

バッジォ1

↑神様の笑顔



2004年5月9日日曜日、今期限りでの引退を表明していたサッカーの神様は、ホーム最終節に笑顔で登場した。
試合前、地元サポーターに手を振って挨拶するバッジォ・・・。
青に白いV字のユニフォーム、背負い慣れたエースナンバーが輝いていた。
一人25ユーロの自由席に一時間前から陣取っていた僕は、あまりの感動に涙を抑えるのが精一杯だった。
ウォーミングアップ中も鳴り止まない「バッジォ・コール」、彼がどれほど愛されているかが伝わってきた。
スターティング・イレブンを紹介するアナウンスが流れ出すと、ファンは一斉に立ち上がり、入場口で配られたバッジォの青いミニ・ポスターを掲げ上げた。
そして、常に彼を支え続けてきたサポーターによる力強い応援歌が鳴り響く。
その迫力、温もり、そして一体感・・・とても言葉で表現できるものではない。
僕もあの場で彼等と同じ時間を共有できたこと、今でも光栄に思っている。
そして、サッカーの神様にとって地元最後のキックオフ・ホイッスルが鳴った・・・。

バッジォ2

↑バッジォ・ポスターを掲げ上げる地元サポーター



1990年ワールドカップ・イタリア大会の準決勝、開催国イタリアは優勝候補アルゼンチン相手に死闘を演じた。
サッカー選手「ロベルト・バッジォ」は、その戦場の中にいた。
ツートップの一角を担った彼は、力強いドリブルで何人ものディフェンダーを置き去りにし、強烈なシュートで相手ゴールを脅かした。
小学生だった僕が初めて見たバッジォの勇姿・・・。
37歳になった彼に、あの時の様なパワフルなプレーは・・・もう出来ない。
しかし、地元で有終の美を飾ろうと必死で攻め上がる彼の姿は、僕の目には当時以上に力強く映った。
ブレーシャ対ラツィオ、サッカーの神様にとっての地元最終試合は、ついに後半に突入した・・・。

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↑今も変わらぬ力強い攻め上がり



1994年ワールドカップ・アメリカ大会、苦しみながらもアズーリは決勝まで勝ち上がった。
イタリアの至宝「ロベルト・バッジォ」は、この大会で数々の奇跡を起こした。
エースナンバーを背負った彼は、巧みなドリブルで相手ディフェンダーの間を潜り抜け、正確なシュートを放ちゴールネットを揺らした。
暑さによって体力を奪われたイタリア代表がどんなに劣勢に立っていても、バッジォは幾度となくその窮地からチームを救い出した。
決勝トーナメントで対戦したナイジェリアとの試合が、その典型だったと言えるだろう。
試合終了の笛が鳴るまで絶対に勝負を捨てない彼の姿は、きっと多くの人々に勇気を与えたはずだ。
中学生だった僕が感動を覚えたバッジォの勇姿・・・。
37歳になった彼の膝では、あの時の様な鋭い切り返しは・・・もう出来ない。
しかし、地元サポーターに最後の勝利を捧げようと相手ゴールを見つめる彼の目は、当時以上の輝きを放っていた。
ブレーシャ対ラツィオ、サッカーの神様にとっての地元最終試合は、ついに終盤に差し掛かった・・・。

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↑ホーム最終節での勇姿



「ゴォォォーーール!!」
試合終了直前、勝負を決定付ける二点目のゴールがバッジォの右足から生まれた。
歓喜の雄叫びがスタジアム全体を覆う中、勝利を確信したチームメイトが一斉にキャプテンのもとに集う。
仲間に祝福されながら、サッカーの神様は満足気に人差し指をサポーター席に突き刺した。
・・・ここから数分間、僕は何があったのかをよく覚えていない。
恐らく、ただ号泣しながらひたすら彼の名前を叫んでいたのだろう。
こうしてサッカーの神様は、自らのゴールで地元最終試合に花を添えた・・・。

1998年ワールドカップ・フランス大会の準々決勝、開催国フランスを相手にアズーリは苦戦を強いられていた。
イタリアの切札「ロベルト・バッジォ」は、途中からこの試合に参加した。
ベテランとして代表に召集された彼は、大舞台慣れしたプレーで若いチームメートに喝を入れ、見せ場を作っては皆を奮い立たせた。
高校生だった僕が魅入ったバッジォの勇姿・・・。
37歳になり今期限りでの引退を表明した彼が、このフィールドでサッカーをすることは・・・もう二度とない。
しかし、地元最終試合を勝利で飾り、引退セレモニーで若いチームメイトに囲まれる彼の笑顔を見ていると、自然とフィールドの外から喝を入れるバッジォの姿が頭に浮かんできた。
そう、近い将来、ポニーテールの指導者として・・・。

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↑引退セレモニーでのバッジォの後姿



2004年5月9日日曜日、試合終了後に行われた引退セレモニー。
必勝の二文字とエースナンバーを背負い、地元ファンに最後の挨拶をするバッジォ。
二十年以上も酷使してきた右膝をかばいながら歩く彼の後姿、それを目の当たりにして感じたこと。
それは・・・彼が神様なんかではないということ。
一見華々しく見えた彼の現役生活だったが、それは決して順風満帆なものではなかった。
数々の移籍問題、それによって起こるファン同士の暴動騒ぎ・・・。
常に問題視された監督との衝突・・・。
マスコミによる過剰報道・・・。
度重なる右膝の故障、辛いリハビリとの二人三脚の日々・・・。
ワールドカップ三大会連続のPK戦による敗退・・・。
中でも94年アメリカ大会決勝で彼が放ったペナルティー・キック、下を向き静かについた溜息、僕は一生忘れる事が出来ない。
あらゆる苦しみに耐え、「無冠の帝王」と呼ばれてもなお、大好きなサッカーを愛する家族のために続けた男「ロベルト・バッジォ」・・・。
彼は「サッカーの神様」なんかではなく、ただ一人の「サッカー選手」であり、ただ一人の「」であり、そしてただ一人の「父親」だった。
次の週(5月16日)敵地で行われたミラン戦、サッカー選手「ロベルト・バッジォ」は途中交代という形で現役最後の試合に幕をおろした。
「しばらくは、家族とのんびり過ごしたいと思っています。」
引退後の記者会見でそう話した彼を見ていて、僕は涙が止まらなかった。
あれから一年以上が経過した今現在も、彼は夫「ロベルト・バッジォ」として、また父親「ロベルト・バッジォ」として、家族という名のフィールドを守り続けている。

バッジォ6

↑2004年5月16日、ロベルト・バッジォ現役引退の瞬間(途中交代)



「Glauben Sie an Gott?」
24歳になった僕は、極稀にマンハイムの街でこういった質問を受ける。
某新興宗教団体の勧誘に対し、僕はかつてキリスト教主義の学校に通っていたにも関わらず、常に「Nein! Ich glaube nicht an Gott!」と答えている。
やはり僕は、神の存在を信じることは出来ない。
あやふやな偶像なんかよりも、光り輝く力を持った生身の人間の姿を、僕はこの目で見てしまったのだから・・・。

2004年5月9日16日の思い出
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