THE TREE OF LIFE ~生命の木~

世界日記 (本編)


   
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中東諸国において、鉄道という移動手段はあまり一般的ではない。
異常に少ない本数や、市街からかなり離れた場所にある駅、バスの倍以上かかる所要時間などが主な原因であると考えられる。
また、国の経済事情(運営費不足)からか設備の老朽化は明白で、車両に関してもとても快適と呼べるものではない。
よって、中東諸国における鉄道というものは、人々の移動手段としてではなく、あくまで貨物の運送用に存在するものだと考えた方が賢明だ。
・・・そんな事、僕は初めから知っていた。
でも・・・、いや、だからこそ、僕はアンマン(ヨルダン)~ダマスカス(シリア)間を鉄道で移動する事に決めたのだ。

ダマスカス1

↑アンマン駅(ヒジャース鉄道


2006年1月2日月曜日午前7時、僕は市街から車で20分ほど離れたアンマン駅に来ていた。
首都の中央駅としてはあまりにみすぼらしい佇まい、ここに来るまでにタクシーの運転手が散々迷ったのも無理はない。
かつてシリアからサウジアラビアまでを結んでいたヒジャース鉄道は、数年前からアンマン~ダマスカス間においてのみ旅客車も走らせるようになった。
月曜と木曜の午前8時発、この週2便の旅客車は、現時点(2006年2月8日現在)では外国人旅行者にも開放されている。
まぁ、外国人旅行者どころか、現地の利用客すら一人も見当たらなかったが・・・。
とりあえず切符を購入しようと駅構内に入った僕に、駅員らしき男は無言で人差し指を突き上げた。
二階・・・??
恐る恐る階段を上がって行くと、そこには数人のヨルダン警官が待ち構えていた。
しかし彼等によるパスポートチェックは意外に甘く、今までの経路やシリア入国ビザの確認、パレスチナ入国歴に関する簡単な質問など15分程度で終わるものだった。
その場で警官に一旦パスポートを預け、それと引き換えに受け取った書類を持って一階の窓口へ向う。
僕はそこで、ようやくダマスカスへの片道切符を入手できたという訳だ(ちなみに、預けたパスポートはヨルダンを出国した時点で返してもらえた)。

ダマスカス2

↑ヨルダン~シリア間を走る国際列車(ヒジャース鉄道


僕をシリアへと運ぶ列車は、予想通りそのほとんどが貨物用車両によって編成されていた。
人を乗せられるのは僅か二車両で、その内の一車両が旅客用、そしてもう一つはなんと警察用車両だった。
「何で警察用車両なんてあるんやろう??」
そんな疑問を抱えつつ、とりあえず僕は列車に乗り込んだ。
その直後、僕は新たに不思議な光景を目にした。
旅客車の窓ガラスが何枚か割れていたのだ。
それを駅員の内の一人が、淡々と新しいガラスにハメ変えていた。
「何で割れとったんやろ??」
木製の座席(ベンチ)に座った僕がそうこう悩んでいる間に、とうとう時計の針は午前8時をまわった。
こうしてアンマン発ダマスカス行きの列車(国境駅乗換)は、警察用車両に4人ものヨルダン警官を、旅客用車両には3人の駅員と一人の現地人乗客、そして一人の日本人観光客(僕)を乗せ、静かに走り出したのだった・・・。

ダマスカス3

↑木製の車内


「マグニチュードはいくつですか??」、思わずそう尋ねたくなるような強い揺れ・・・。
「大工事は近所迷惑です!!」、ついそう叫びたくなるほどの大騒音・・・。
なのに、「これってカブ??」と思うほど遅ぉーい走行スピード・・・。
出発して何分も経たない内に、自分が最悪の列車に乗った事を実感した。
更に、出発前から僕が抱いていた疑問も「恐怖体験」という形で一気に解決された。
スラム街に住む子供達による投石の来襲である。
せっかくハメ変えた新しい窓ガラスが無残に散っていく・・・。
その度に列車は一旦止まり、警官が数人がかりで悪ガキを追い払うのだ。
娯楽を知らないこの辺の子供達にとっては、週に2回通る列車に石を投げる事が唯一の楽しみらしい。
警察用車両の存在や窓ガラスが割れていた理由、それらの謎は全てこの一件により明白になった。
慣れた手つきでダンボールを貼り、割れた窓ガラスに応急処置を施す駅員A、愚痴を零しながらガラスの破片を掃き集める駅員B・・・。
少ない乗客に対して3名もの駅員が乗車していた事に対しても、僕はこの時初めて納得できた。
シリアに入国するまで続いたこのデンジャラスな鉄道の旅、確かに危険や恐怖も感じたには感じたが、僕にとっては忘れる事のできない楽しい思い出になった。
それはきっと、僕が生粋のMだからという理由だけではなさそうだ・・・。

ダマスカス4

↑窓ガラスを割られた旅客車


ダマスカス5

↑ダマスカス行き列車(シリア国鉄)


入国審査の後、国境駅でヨルダン警察と窓ガラスの割れた車両に別れを告げ、僕はそこからダマスカス行きの列車に乗り換えた。
やはり一両編成のボロい電車だったが、その車窓から眺めた砂漠でテントを張って暮らす人々の生活、それは欧州や僕の母国では決して見る事のできない光景だったと思う。
ヨルダンからシリアに入国した直後の変化も興味深かった。
車窓から見える子供達の表情が一変したのだ。
シリア側では、列車に石を投げたりする子供は一人もいなかった。
線路沿いに並び、みんな笑顔で手を振っていた。
そのギャップは実に印象的だった。
それから面白かった事がもう一つ、それは踏切通過時に車を優先させる事だ。
遮断機や信号なんて物は当然存在しない。
踏切で車が通っている時は、電車が停止して車が行き過ぎるのを待つ。
また、線路上にちょっとでも大きな石があると、その度に停止して駅員がそれを撤去する。
まぁ、当然時間通りに到着するはずはない。
僕が乗った時は16時間以上遅れた。
8時間で着く予定だったが、24時間以上かかった(夜は駅員達と仮眠室で一夜を過ごした)・・・。
ダマスカス到着まで続いたこのノンビリ(過ぎ)鉄道の旅は、確かに苛立ちや焦りも感じたには感じたが、僕にとっては忘れる事のできない楽しい思い出になった。
それもきっと、僕が生粋のMだからという理由だけではなさそうだ・・・。

ダマスカス6

↑ゆっくり、ゆっくり進みます。


中東諸国において、鉄道という移動手段はあまり一般的ではない。
異常に少ない本数や、市街からかなり離れた場所にある駅、バスの倍以上かかる所要時間などが主な原因であると考えられる。
また、国の経済事情(運営費不足)からか設備の老朽化は明白で、車両に関してもとても快適と呼べるものではない。
更に付け加えると、無邪気な子供達の攻撃によって少なからず自分の身に危険が生じる。
故障などのアクシデントにより信じられないほど遅れる事もよくある。
よって、中東諸国における鉄道というものは、人々の移動手段としてではなく、あくまで貨物の運送用に存在するものだと考えた方が賢明だ。
それでも僕にとっては、「また乗りたい!」と思えるほど良い思い出になった。
もちろんそれも、僕が生粋のMだからという理由だけではない。
ヒジャース鉄道、是非一度お試しいただきたい。

ダマスカス7

↑シリアの車窓から


2006年1月2日・3日の思い出
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2016/09/02(金) 21:28:09 | | #[ 編集]
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